著者は、イエスの血によって大胆にまことの聖所に入ることができるようになったのだから、信仰を持って真心から神に近づこうではありませんか、と勧めています(19〜22節)。
では、私たちはどのようにして神に近づいたらよいのでしょうか?
どんなに休まずに礼拝を守っていたとしても、毎日欠かさずに聖書を読んでいたとしても、その心のうちに信仰がなかったら、何の意味もありません。神が一番望んでおられることは、私たちが「全き信仰をもって、真心から神に近づく」ことなのです。
続けて著者は、キリスト者同士の愛と交わりについて24・25節のように勧めています。25節にある「かの日」とはキリストの再臨の日のことです。私たちは、その日がいつなのかは分かりません。しかし、間違いなく少しずつ近づいているのです。私たちは、それまでの間、ともに集まり励ましあっていくことが大切なのです。
26節以降は、信仰の戦いのなかで神から離れていった人たちと、神から離れることなくその戦いを耐え抜いた人たちの両面から語られています。
私たちの前には、必ず戦いが訪れます。その戦いの内容は、人によって異なったものでしょう。その戦いのなかに身を置いたとき、私たちは不安を抱くでしょうし、その戦いに負けてしまいそうになることもあるかもしれません。しかし著者は、「確信を投げ捨ててはなりません」(35節)、と私たちを励ましています。私たちが確信を投げ捨てず、忍耐をしていくとき、約束のものを手に入れることができるのです。
約束のものとは何でしょうか?
それはキリストが再び来られる「再臨の日」の喜びではないでしょうか。