救われた私たちは、初歩からの脱却、次のステップへ進むのに、十分過ぎるほどの時間を費やしていないでしょうか。いつまでも同じところにとどまっているばかりでなく、後退し、堕落してしまうとき、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません、と聖書ははっきり語っています(6節)。なぜなら、キリストの贖いは、とこしえの救いであり、完成されたものだからです。神の子が死なれたのは、キリストの十字架は、一度きりであり、二度繰り返される必要のないものだからです。それほど完全なものなのです。けれども、堕落してしまう人々は、もう一度、キリストを十字架にかけるような人たちです。神の恵みを、とこしえの救いを受けておきながら、成長するのではなく、堕落してしまうことは、無用なものだと聖書は教えています(8節)。
最初の愛、私たちがこれまでの過去に示した愛に報いてくださるお方が、私たちの神です(10節)。だからこそ、この恵みを受けた私たちは、最後までなまけずに、信仰と忍耐によって約束のものを相続する者、成長する者になるように勧められています(12節)。
アブラハムの事例が取り上げられています(13〜15節)。彼は、忍耐の末に、約束のものを得ました。そこには、神ご自身による保証がありました。何よりも偉大で、決して揺るがない神様ご自身がその約束を保証してくださるのであり、それによって私たちは、錨を下ろした船のように波に流されることなく信仰を持てるのです(19節)。
次のステップに進むためには、私たちの先駆けとしてメルキゼデクの位に等しい大祭司となられたキリスト・イエスを、もっと知る必要があるのです。