神の安息とはどのようなものですか。神は天地創造のとき、7日目に休まれました。休みを必要としない神が休まれた。「すべてのみわざを終えて七日目に休まれ」ました(4節)。神のみわざが完成されている中にいること、神のコントロールの中にいることが真の安息です。
1節「こういうわけで」とあり、3章からのつながりから、約束の地を目指して荒野を放浪していたイスラエルの民が乳と蜜の流れる約束の地に安心して住めることが、イスラエルの民にとっての安息だったとわかります。しかし、その安息に入れなかった人々がいました。それは神への不信仰が原因でした。私たちは、何が何でもこの恵みからもれることのないように力を尽くして努め、落後しないようにしようではありませんか(11節)。
神の安息からもれないためには、聞いたみことばが信仰によって結びつけられる必要があるのです。なぜなら、信仰によって結びつけられなかった人たちが落後していったからです。
みことばは、神のことばは、生きていて、力があります(12節)。そして、そのみことばを結びつける信仰は、偉大な大祭司である神の子イエスへの信仰です(14節)。
偉大な大祭司であり、神の子であるイエスは、私たちと同じように、試みに会われたので、私たちの弱さに同情できるお方(15節)ということは、どれほどの感謝なことでしょうか。神の安息の恵みから落後しないように、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか(16節)。