第44土曜 ヘブル3:1-19



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

『不信仰の刈り取り』

【1〜6節】 神の家の主人

 「聖なる兄弟たち」という語りかけに対して、私たちはどのように応答するでしょうか。「めっそうもない!」「とんでもない、私のような者が聖なる者?」などと考えていませんか。神様はあなたを、聖なる兄弟と呼ぶことを許されたお方です。
 モーセは神に多くのことを委ねられ、用いられた人です。彼は祭司としても、預言者としても用いられました。その働きは神御自身が認めるところです(民数記12章7〜8節)。しかしモーセは神の家の忠実な家臣であって主人ではありません。神の家を完全に統治されるお方は、主イエス・キリストです。

【7〜19節】 忠実に

 詩篇95篇7〜11節の引用です。信仰者とは御声を聞いて従う者でなければなりません。かつて出エジプトをしたとき、イスラエル人は御声を聞いても迷い、神を試み、不信仰を重ねました。反面教師として、従わない者にならないで、従う者になりなさい、と勧めています。
 あなたは信仰をもって、みことばに聞き従っていますか。それとも、主を試み、不信仰の歩みからまだ離れられないでいますか。
 信じて従うチャンスという時があります。ここは信仰を持って、確信を持って進まなければならない時があります。その時に備えていますか。それは、一朝一夕にできるものではありません。イスラエル人でさえ40年の訓練が必要でした。それでも、不信仰に神様を怒らせ、悲しませてきました。
 信仰のチャレンジ、信仰の試練の時に備えましょう。
 「兄弟たち」と呼びかけられています。信仰は決して一人だけでは健全に保つことはできません。励まし合う存在が必要です。あなたには祈り会う信仰の友がいますか。
 不信仰を正してくれる、兄弟姉妹、また牧師先生との関係を正しく保っていますか。信仰に対する従順は一人一人に求められています。その信仰の確信は終わりの日まで忠実であることを求めています。
 このヘブル書の著者は信仰の確信を保ち続けることの大切さを厳しさをもって教えています。あなたは信仰を持った、洗礼を受けた、で終わっていないでしょうか。さらにあなたの成長を期待しているお方が、なおあなたの祝福を備えて終わりに日に準備してくださっています。ともに受け取りましょう。


【信仰告白】

[2] 使徒信条