私たちは明確な誘惑には毅然と立ち向かうことができます。しかし、いつの間にか押し流されるように、信仰の道から逸れているということがあります。最初の教えから逸れ、やがて教会にも来なくなってしまう人がいないわけではありません。忙しい時代とは言え、押し流されるままではいけないのです。
旧約聖書時代「御使いが語ったことでさえ、堅く立てられて動くことがなく、すべての違反と不従順が当然の処罰を受けたとすれば、私たちがこんなにすばらしい救いをないがしろにしたばあい、どうしてのがれることができましょう」
イエス・キリストの福音をないがしろにしていませんか。
ここからは前の1章14節に続く箇所です。「後の世」とは、神の国のことです。新天新地においての支配は御使いではなく、イエス・キリストにあると言うことが再び強調されています。
人間は初めの世界を治め管理する役目を担っていました。しかし神に背きその働きを全うできずにいました。人の子、すなわちイエス・キリストが後の世において、人にできなかったことを、完全な人として管理、支配されるということを意味しています。イエス様は私たちのできないことを完全に被い補ってくださるお方です。あなたはその安息に生かされていますか(詩篇8篇4〜6節も開きましょう)。
神様は、罪人である私たちに、呼ばれることを拒まれないお方です。それどころか、主御自身があなたを兄弟(姉妹)とお呼びになるお方です。主が兄弟または姉妹と呼ばれる人々をあなたは尊敬していますか。互いに愛し合っていますか。教会の中に、親しくあなたを招いてくださる主を賛美していますか。
イエス・キリストは、あなたのために、人となり天から降られました。そして、人と同じ生活をし、同じ苦労をされました。あなたが抱える悩みや苦しみをもっとも側で理解し癒すことのおできになるお方です。
イエス・キリストは、人の最期の敵である「死」に打ち勝ったお方です。悪魔はイエス・キリストを滅ぼしたと思っていましたが、イエス・キリストは死よりよみがえられました。復活のできごとは御子を信じる者が、同じように死から解放され同じように復活すると約束されています。
あなたは、この御子を、救い主と信じていますか。復活し後の世で主とともに生きることに希望を持ちましょう。