この手紙は、成長しないクリスチャン、信仰など持つんじゃなかったと後悔しているクリスチャンへの励ましの手紙です。誰が書いたのかは諸説ありますが、この手紙を忍耐を持って書き綴った人の姿が見えてきます。「今は恵みの時」(※信仰義認において)を過ごす時代の中で再び律法に戻る人々に嫌気を差さず、なお戻るように、信仰にとどまるようにと勧めているからです。この手紙を読み進めて行く時、出エジプトを後悔したイスラエル人のつぶやき、改宗したユダヤ人のつぶやき、信仰を持ったクリスチャンのつぶやき、そして自分のつぶやきが改めさせられます。
「むかし」とは旧約聖書時代のことを指しています。直接、祭司を通して、預言者を通して、その御心を伝えてこられました。「終わりの時」とは新しい契約の時代、御子イエス・キリストの誕生を境に、神の御心は直接御子の口を通して語られました。一貫して神ご自身が語られていると言うことが大切なことです。
神様は、創造の始めから終末に至るまで、また御国においては永遠に人に語られるお方です。
神は探すものではなく、まして作るものではなく、古い時代のものではない、昔も、今も、あなたに御心を語られるお方です。あなたは、御心を求めて聞く者ですか。
【6節】 御使いは礼拝するもの。御子は礼拝を受けられるお方です。
【7〜9節】 御使いは神の被造物、火や風と例えられ使われる存在。御子は神であり、永遠に義なるお方です。
【10〜12節】 天地はやがて滅び去る、そしてそれらはあっけないものです。神の意志で変えられます。この地上の儚さから永遠の御国への道となられたお方は御子イエス・キリストです。
【13〜14節】 御使いは仕える霊ですが、御子イエス・キリストは完全な勝利者として造られたもののすべてを御支配されるお方です。
これら御子と御使いの対比により、イエス・キリストこそ礼拝の対象であり、神と人を仲介する唯一のお方であること、圧倒的な勝利者として紹介しています。
このお方が、あなたの主です。 何を迷い何を恐れることがあるでしょうか。あなたは信仰を持ったことを後悔していませんか、献身したことを後悔していませんか。
【旧約聖書の引用】
5節 → 詩篇2篇7節、第二サムエル記7章14節
6節 → 申命記32章43節(参照:詩篇97篇7節)
7節 → 詩篇104篇4節
8・9節 → 詩篇45篇6〜7節
10〜12節 → 詩篇102篇25〜27節
13節 → 詩篇110篇1節
上記の箇所も併せて開いてみましょう。