まだ教会として十分に組織が機能していない段階のクレテ島の教会の建て直しに任命されたテトスに宛てられた手紙です。テトスへの励ましは、同時に私たち自身への激励の言葉でもあります。集っている教会や職場、学校であってもあなた自身が、キリスト者として遣わされた場所である自覚を持っていますか。置かれている環境や教会の中で、もう一度自分の働きを確認しましょう。
大変重い仕事を委ねたパウロは、その安否を気遣います。使徒職にある権威を持って、それは人から出たことではなく、永遠の昔から備えられた使命であることを確認せよと。そして、平安のあるようにと祈ります。あなたは、人に委ねた仕事をそのままにしていませんか?使命の確認、励ましと祈りをもって支える者でありましょう。
長老の資質を見極める手段は生活ぶりでした。読めば当然の事柄ですが、すべてを満たすとなると、そうそう相応しい人物には出会えません。しかし、この勧めを「自分は長老や監督の働きには相応しくない」と逃れる理由にしてはいけません。むしろこの基準に相応しく自分自身を整えなければなりません。長老や監督の働きは、人の模範です。頭を掻いて誤魔化さず、しっかりと矯正を受けようではありませんか。
特に、家庭を良く治める者でなければなりません。家庭も治められない人に、神の権威も、使徒の権威も、長老の権威も理解できないからです。あなたは育児、教育に親としての権威を持って向き合っていますか。教会奉仕はそれからです。人はあなたの奉仕や姿を見ていません、その実である子どもを見ています。クレテ島に長老や監督の働きはたくさん必要ですが、質を落としてはいけないのです。
クレテ人の教会の具体的な現状が突き付けられています。「割礼を受けた人々」とはユダヤ人キリスト者のことです。「彼らは、神を知っていると口では言いますが、行ないでは否定しています」(16節)
あなたは、聖書の一部を聞きかじるだけで、すべてを理解しているような錯覚に浸っていないでしょうか。少々のみことばを知って、裁きの道具にしていませんか。みことばから離れて、勝手な想像で聖書を理解したつもりになっていませんか。その結果、人を惑わすような生き方をしていませんか。
みこころは、そのような生活からきよめられることにあります。きびしいと感じる忠告にも耳を傾けましょう。