パウロは1節「キリスト・イエスにある恵みによって」と語り始めます。パウロの語る「恵み」とは主イエス・キリストと結ばれていることによって与えられるものと理解できます。神の国の支配を語られた主イエスが、すべての物事のうちに働かれ、そして私たちに寄り添い導いてくださっています。主イエス・キリストに結び付けられていくところに恵みがあります。それは主イエスの臨在によって私たちは強められると言えます。主イエスに連なる恵みのうちに、私たちは神ご自身からゆだねられたすべてのものを良く管理していくのです。恵みにおいて成長していくことは、パウロがテモテに伝えたかった大切な事柄ではないでしょうか。同じく私たちが神ご自身から与えられた良きものを管理し、自分自身を成長させていくには、主イエスの恵みにおいて成長していくことを、忍耐と訓練、堅忍をもって歩んでいきたいと願います。
牧会者テモテが、偽教師との関わりにおいて教会内で苦労していることは、テモテへの手紙第一でも触れましたが、これまでテモテへの手紙第二で語ってこなかったパウロが再び偽教師について語り始めます。パウロは14節で「何の益にもならず、聞いている人々を滅ぼすことになるような、ことばについての論争などしないように、神の御前できびしく命じなさい」と言います。おそらく、テモテは偽教師との関わりにおいて論争に巻き込まれていくようなことがあったのかもしれません。あるいは議論のための議論に巻き込まれていることを言っているのかもしれません。
しかしむしろ、15節「あなたは熟練した者、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神にささげるよう、努め励みなさい」とパウロは明言します。テモテへの手紙第一において牧会の務めの原則や牧会の働きについてテモテを叱咤激励してきた言葉を集約したように語ります。15節「熟練した者」とは、神の試験を受けて神から良しと認められた者という意味があります。もっと具体的に言えば、真理のみことばによって徹底的に吟味され、みことばに生きるように召された者とも言えると思います。真理のみことばを正しく取り扱うことができる者であり、恥に追いやられることのない者を指します。
真理のみことばを説き明かすのが説教者の使命です。そして、真理のみことばに従うことは信仰者としての証しです。みことばによって取り扱われることは、論争のために力を使うこと以上に厳粛なことです。真理のみことばは私たちを主イエスの恵みへと導きます。聖なる者にしようとされる主の御心を受け取り、日々みことばに、謙遜に、心の一新によって取り扱われていきたいと願います。