パウロは、1〜2節において挨拶を通してテモテに与えられた牧会者としての使命の確認を迫ります。イエス・キリストを中心とした生き方によって、「キリスト・イエスにあるいのちの約束」を宣べ伝える福音の中心を示します。牧会をしつつ、困難を抱えていたテモテにとって福音の中心を確認させられるのは、まさにテモテのうちにある「キリスト・イエスにあるいのちの約束」を確認することに他なりません。私たちに与えられた約束を常に確認したいと願います。
パウロは、3節において自らの信仰の経緯を語ることを通して、テモテ自身の信仰の経緯を明らかにします。特に3〜6節では「思い出す」というニュアンスの言葉を4つも使い、テモテ自身に蓄積された記憶を呼び覚ますようなパウロの働きがあります。それは確かに神ご自身がテモテを導かれ、神ご自身によるテモテへの配慮に目を留めるように促しています。救いに導き、あるいは信仰の歩みを励ましてくださる兄弟姉妹に感謝をしたいと思います。そして兄弟姉妹を置いてくださった主なる神に感謝したいと願います。
パウロは、6節からパウロの挨拶と感謝によって明らかにされた神の御心により、テモテが取るべき姿を命じます。第一に、6〜7節「テモテのうちに与えられた神からの賜物を燃え立たせること」。第二に、8〜12節「福音のために苦しむこと」。第三に、13節「健全な言葉を手本とすること」。第四に、14節「ゆだねられたものを守ること」。第五に、15〜18節「見習うべき模範」を提示します。
テモテ自身、困難な中での働きであったことは想像されます。問題の渦中にいる時には、その問題を乗り越えていくことで精一杯かもしれません。なぜ困難な中にいるのか、なぜ苦しんでいるのか。そのことを自問自答することもあるかもしれません。だからこそ、パウロは今ある苦しみは「福音のため」であることを覚えさせます。今、主の教会に仕えているテモテにとって、それは福音に生きることの意味を改めて覚える時となったのではないでしょうか。主の教会に仕え、困難の中にあっても福音のためであることを覚えたいと思います。