1節を読むと、「パウロは世の終わりがいつなのか知っているのか?」と思わせますが、決してそうではありません。世の終わりがいつなのか。それは御子さえも知らない(マタイ24章36節)とイエス様は言われました。なので、例えば1999年に世の終わりが来ると行った(本当に彼がそう言ったのかは分かりませんが)ノストラダムスや、何度もこの世の終末を迎えている某カルトの知識が、決して神さまから来ている正しいものではないと断言することができるのです。ですからパウロは、「いつであるか?」と「時」に注目するのではなく、むしろその時を迎えるための備えをすべきである、と言うのです。
具体的な勧めが続けて記されています。11〜15節の勧めの中には、信仰者にとって戦いは避けられないものであることや、たった一人で孤独に歩むのではなく、徳を高め合い、愛し合い、尊敬し合い、助け合う「仲間」がいることを伝えます。そうです。私たちは決して孤独のなかでこの世で戦っていくわけではありません。同じ信仰を持って歩む多くの仲間が「教会」として与えられていることを忘れてはならないのです。そして、「互いに」という言葉が繰り返されているように、決して受けてばかり、与えてばかりではなく、足りないところを補い合うような関係を教会のなかで作り上げていくべきなのです。
16〜22節では個人的な勧告がなされています。クリスチャンとしての基本的な歩み方、生き方、そして価値観です。そのなかでも、こういう歩みをするために不可欠な、聖霊様に関する「御霊を消してはなりません」(19節)という言葉は大切です。御霊なしに聖化の歩みはあり得ないからであります。
聖化の祈りが再びささげられ、あいさつをもって第一の手紙は終わります。「すべての兄弟たちに読まれるように、主によって命じます」(27節)のパウロの命令は今でももちろん有効です。そのためにこの文章を書かせていただいていることを、私も心から感謝しています。まず自分が書かれたみことばに感動し、その感動とともにみことばを伝え「読まれるように」、ともにこれからも励みましょう。