第41土曜 コロサイ4:1-18



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

【4章1〜18節】 最後の挨拶

 囚われの身にあるパウロでしたが、その状況にあっても何とかして福音が前進するように、コロサイの兄弟姉妹に祈りの要請をします。私たちも、みことばの奉仕にあたっている牧師、伝道師を覚えて祈りましょう。特に明日の礼拝説教のため、説教者のために。
 さらにパウロはコロサイの信徒たちにも同じように、日常での未信者との関わりにおける言動・振る舞いにおいて、キリスト者としての自覚を持ち、福音の宣教に努めるよう命じます。
 最後に、7節以降において、今ともにいる同労者の様子について報告します。9節のオネシモは、ピレモンへの手紙を書くきっかけとなったあの脱走奴隷オネシモです。彼をテキコに同行させて、その主人ピレモンのもとに送り返そうとしたわけです。そのような背景で「ピレモンへの手紙」が書かれたのでした。10節のバルナバのいとこであるマルコは、この人物を伝道旅行に同行させるか否かをめぐって、パウロとバルナバの間に亀裂が生じた原因となった人物でしたが(使徒15章36〜41節)、この箇所からパウロはマルコとの良好な関係を回復したことがわかります。一方、14節のデマスは、後に「今の世を愛し、私を捨ててテサロニケに行ってしま」ったとパウロによって語られています(第二テモテ4章10節)。
 「私が牢につながれていることを覚えていてください」(18節)。ある英語の聖書はこの箇所を“Remember my chains”(私の鎖を覚えていてください)と訳しています。今日も世界中のさまざまな所で、多くの同労者・兄弟姉妹がその信仰と証しのゆえに迫害にあい、ある者は投獄され、ある者は地上での命をもって信仰を告白しています。このパウロの言葉は、その苦しみのなかにある彼らの叫び声となって私たちの耳に響きます。私たちも彼らの鎖を覚えていたいと思います。


【信仰告白】

[2] 使徒信条