最後にパウロは改めて、主にあって一致するように勧めます。続けて神の平和を知る秘訣が語られています。すなわち、「主にあって喜ぶ」、「寛容な心を養う」、「思い煩わず、感謝を込めて祈り、思いのたけを神に打ち明ける」、「美徳を心に留める」、「パウロの教えと生き様をならう」ということです。暗いニュースが多く、先行きが見えず不安な時代に生きる私たちこそ、この勧めに従って生き、神の平和を知る者となりたいと思います。そしてその神の平和は私たち一人一人の心のなかだけに留まっていてよいものではありません。私たちが属する神の共同体である教会、そして遣わされている家庭・地域においても神の平和をもたらすことこそが、この神の平和の最終目標であるということを覚えたいと思うのです。
ピリピの信徒たちによってなされた、貧しさのなかにあったパウロへの贈り物に対する心からの感謝とともに、「主にあって満ち足りることを知る生き方」の大切さ、力強さを、パウロは語ります。ピリピの信徒たちが友情の証しとして贈ってくれた恵みに対して、囚われの身であるパウロは、具体的に物質的にはお返しをすることができません。しかしそれゆえパウロは、神に信仰と希望をおきます。つまり、それらの贈り物を喜ばしい供え物として受け止めてくださる神ご自身が、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、ピリピの信徒たちの必要をすべて満たしてくださるのだ!というわけです。そのことはパウロとピリピの信徒をともに(「私たちの」20節)神への頌栄へと向かわせるのです。互いに対する愛、具体的な愛の行為が、最終的には神の栄光へと向かっていくようになる。これこそ私たちキリスト者の面目躍如、また喜びではないでしょうか。私たちの父なる神に御栄えがとこしえにありますように!