パウロは、割礼の強調をはじめとするユダヤ主義的な者たちとその教えに注意するよう警告します。自分自身もそのような宗教的な背景・過去を誇ろうと思えば誇れるが、主イエス・キリストを知ってからはその価値観・世界観が一変したのだ、といいます。パウロは、10節・11節において、「キリストとその復活の力を知」っている、というだけでなく、「またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、どうにかして死者の中からの復活に達したい」のだ、と言っています。私たちの信仰はどうでしょうか。パウロと同じように、キリストと復活の力のみならず、しっかりとキリストの苦しみにあずかること、キリストの死と同じ状態になることも知っているでしょうか。
ここは多くのクリスチャンに愛されている箇所です。パウロは、すでに完全なものになったのではなく、完全を目指して、信仰者としてなしうる努力を一生懸命している(捕えようとしている)、と言います。しかしそれはただ単なるいわゆる「頑張りズム」ではなく、「自分がキリスト・イエスに捕えられているから」(新共同訳)だというのです。キリスト・イエスにある愛と恵みに押し出されての奮闘なのでした。それゆえ、あなたがたも一致して、そのようなパウロや同じ奮闘をしている信仰の友にならうものとなりなさい、と命じます。私たちも、まずそのようなパウロの姿勢をならう者でありたいと思います。さらには、周りの信仰の友の励まし、生きた指針となるような者になりたいと思います。