パウロは、ここで御霊に導かれて歩むことを勧めています。なぜなら、そのようにすればわたしたちは自分の肉の欲望を満足させることに走らないからです。わたしたちは、もともと自分の「したい」と思うことができない罪の性質を持ち合わせています。律法は罪を認識させてくれるだけで命を与えることはできません。聖霊のみが、わたしたちを神様のもとへ永遠の命へと導くことができるのです。
さらにパウロは、御霊に導かれて生きている者の使命として、周りにいる兄弟のなかで罪に陥っている者がいるとしたら、柔和な心をもって導くことを勧めています。また希望を失うことなく、たゆまず飽きることなく、善を行うことも勧めています。ジョン・ウェスレーは善を行うことについて次にように語っています。「できるだけ善を行いなさい。できるだけいろんなかたちで行いなさい。できるだけ多くの人に行いなさい。できるだけ長い間行いなさい」。イエス・キリストご自身もまた「受けるよりも与えるほうが幸いである」(使徒25章35節)と語られました。「善を行なうことと、持ち物を人に分けることとを怠ってはいけません。神はこのようないけにえを喜ばれるからです」(ヘブル13章16節)というみことばと併せて、いつも心に留めて歩んでいきましょう。