パウロはここで、キリストが自由を得させるために来てくださったことをしっかりと受け留め続けるようにと勧めています。そして決して律法主義に戻ることがないように戒め、律法(割礼を受けること)によって神から義とされようと求めるとするならば、キリストとはなんの縁もゆかりもなく、また恵みも失うと、ある種脅しにさえ聞こえる表現を用いて警告します。
またキリストに結ばれ繋がっていれば(参照:ヨハネ15章5節)、律法それ自体は大事なことではなく、むしろ愛の実践の伴う信仰こそが大切となってくることが語られています。さらに、わたしたちに与えられている自由を自分の肉に罪を犯される機会とはせずに、かえって愛により他者に仕ることを勧めています。わたしたちが与えられている賜物(なにも特別な才能だけを指すのではなく、各人が遣わされている場所や関わっている人といった環境そのもの)を、自分自身のためにではなく、他の人のために用いていく(第一ペテロ4章10節)ことを通して神様の愛があらわされていくのです。