キリスト者が目指す完全とは、何でしょうか。パウロは9節と11節で、コリントのクリスチャンに完全なものになるように祈り、勧めています。
完全な者と聞くと、神以外に完全な者などいないではないかと私たちはすぐに思います。でも、ここで言われている完全さとは、神のような完全さではないのです。むしろ神に対しての私たちのあり方が、問われているのではないでしょうか。それは、5節の「信仰に立っているかどうか、自分自身をためし、また吟味しなさい」ということばにも表れています。信仰は、神に信頼することです。ですから、パウロは最後の章で、神様に完全に信頼するものとなるように勧めているのです。4節にあるように、私たちはキリストにあって弱いのですから。
完全なクリスチャンとは何でしょうか。それは、まず主により頼み、最後まで主に信頼し続けるクリスチャンではないでしょうか。ですから、強いクリスチャンは、第1に、自分自身の弱さを良く知っている人です(9節)。第2に、神の力(4節)強さを知っている人です。自分が強い人は、11節にあるように、慰めを受けることができません。「必要ない」と拒むからです。一つ心になることができません。他人を自分に合わせようとするからです。平和を保つことができません。自分こそ正しいと思うからです。
私たちは自分に絶望し、主に希望を置きたいのです。その意味で完全な者を目指したいと思います。