パウロは自慢することで得るものなどないと思っていました。彼は自慢したくありませんでした。しかし、彼がそうしなければ失うものが大きいこともわかっていました。惑わす者たちによって、コリントの教会が彼を指導者として認めなくなれば、多くの迷った羊が生じることになるのです。彼はやむなく、誇ります。コリントの教会のクリスチャンたちを納得させるために。
しかし、彼の結論は何でしょうか。それは弱さを誇るということでした(5節)。キリストの力が彼を覆うので、彼は「私が弱いときにこそ、私は強い」と言うことができました。クリスチャンは、自分自身が強くなる必要はありません。むしろ自分自身がいかに弱いかを知る必要があります。そのようにして、信仰者は、キリストの力がその弱さのうちに完全に現れることを知るのです(9節)。
さて、パウロが最終的に伝えたかったことは何でしょうか。それは彼の自慢話ではなく、彼がコリントの教会を愛していることでした(15節)。その愛は、相手を築き上げることを望む愛です(19節)。パウロはこの手紙の中で、2回だけ「愛する者たち」と呼びかけいます。7章1節では「聖きを全うしようではありませんか」と言い、この12章19節では「すべては、あなたがたを築き上げるためなのです」と言います。つまり、パウロがこの呼びかけをするときは、相手の霊的な成長を願うときなのです。神の愛は、私たちを罪人のまま受け入れてくださるだけではなく、私たちが成長することを願っているのです。受け入れてくださるだけの愛に甘んじるときに、クリスチャンのなかに「争い、ねたみ、憤り、党派心、そしり、陰口、高ぶり、騒動」が起こってきます。私たちは、聖きを全うさせようとする神の愛の中に、わが身をゆだねようではありませんか。