今日から、第二コリント人への手紙に入りますが、これはいうまでもなく、パウロが2度目(実際は3度目という説もある)にコリント教会に書いた手紙です。
パウロは、第一の手紙を出し、さらにテモテをコリント教会に派遣しました。しかし、第一コリントの手紙で言われていた問題は、ユダヤ教主義者たちがコリントにもやってきて、教会を掻き乱していたのに対し、若いテモテがなかなかうまく解決できなかったところにあったようです。実際、テモテは失望して去ったらしいとまで言われています。いずれにせよ、パウロに反対する勢力はますます強くなり、パウロもそのことを知って非常に悲しみ苦しんでいました。
パウロの目的は、そのようなユダヤ教主義者たちの悪意に満ちたデマや自分への誤解と中傷を解きほぐし、コリント教会を主にある平和に満ちた秩序ある教会にすることでした。パウロ自身も「二度目の滞在のときに」(13章2節)と言っているように、実際にコリント教会を第一コリント人への手紙を書いた後に訪問していたようであります。しかし、かなり反対者が強固だったのか、パウロ自身も心に重荷と苦しみを与えられながら、しぶしぶコリント教会を去らなければならなかったようです。そして、第一と第二の手紙の間に「涙の手紙」と呼ばれる手紙をコリント教会に送りました(7章8節)。そして、パウロは、テモテよりも少し年上だったテトスをコリント教会に派遣しました。
テトスが、コリント教会から戻ってくるまでパウロは気が気ではなかったようです(2章13節)。そして、テトスが帰ってきて、良い知らせを受け取ることができました。それは、コリント教会の大半の人が、自分たちの非を認め、パウロの真意を理解していることでした。大方の問題は解決されたようでした。しかし、エルサレム教会への献金はそのまま放置されていました。また、少数とはいえ、まだパウロに反対する人がいるということで、パウロは3度目の訪問を計画しました。この手紙は、その訪問計画前に、少しでもコリント教会の人々の理解を助ける意味で書かれた手紙です。それが、第二コリント人への手紙です。
1章では、まず差出人を明記し、祝祷・頌栄を述べ、それからパウロの身近での事情を綴っています。そして、12〜14節までは、パウロの誠実さ、自分の言動がいかに良心から出ているものかを説明しています。計画の変更についても15節以下で弁明しています。