パウロは、御霊の賜物の多様性(12章)、愛の重要さ(13章)を述べてきました。そして、14章では、実際にコリント教会で問題があった預言と異言について具体的な指示を出しています。
パウロは、まず、14章の冒頭で、「愛を追い求めなさい」と言います。それは、13章から続く形で、愛に基盤を置く預言や異言は、実に豊かな役割を果たすことを強調しているのです。特にパウロはコリント教会に対して、「預言することを望む」(5節)と言います。それは、おそらくコリント教会のなかで、特に異言を話すことを重んじていたからではないか、と言われています。異言を話す信者が、異言を話せない信者を軽視する現実が実際にあったようです。
しかし、パウロは、決して異言を軽視していたわけではなく、むしろ、預言にしても、異言にしても、どちらも神からの素晴らしい賜物として同等に見ていました。しかし、パウロがここで重要なこととして強調しているのは、御霊の賜物を通して、教会全体、信徒一人一人の徳を高めることが大切である、ということです。
異言は、人に対して話すのではなく、神に対して話すものだ、とパウロは説明しています。解き明かす人がいない場合は教会全体の徳にならない、むしろ、解き明かすことができるように祈りなさい(13節)、と指示しています。
ですから、パウロは、ここで異言を話すことよりも、預言をすることを人々に薦めています。預言は教会の徳を高めるからです。そして、教会を高めるだけではなく、信者でない人や信仰に入って間もない人に対しても、いかに恵みに富んだ影響を与えるかも説明しています(24・25節)。
御霊の賜物、ここでは、預言と異言はすべては教会の徳、お互いの徳を高めるためのものです。決して、人に見せつけたり、高慢になったりするためのものではありません。重要なことは、キリストの愛に根ざし、教会と人の徳を高めることなのです。