前章においてパウロは、兄弟姉妹への愛のゆえに自由を制限することについて述べました。それは、パウロも実行していることです。パウロは使徒として、教会から金銭的なサポートを受ける「権威」がありながらも、コリントの教会に対しては、それを辞退して自分の手で働きました(12〜18節)。当時、哲学者や知者と呼ばれた人たちは、自らの知識を教授する代わりに、金銭的な報酬をもらうことが常でした。ですから、パウロがサポートを断って自分の手で働いていることは、コリントのクリスチャンたちにとって、理解しがたいことでした。そこで、パウロが本当に、キリストの使徒であるのか、疑う者すら出てきたようです(第二コリント11章7〜9節・12章13節)。確かに、パウロは主の働き人として、コリントの信徒たちからサポートを受ける権利があります。しかし、彼はコリントの教会の貧しい者たちのことを思って、また、パウロの宣べ伝えている福音がいわゆる哲学や知識以上のものであるので、その権利を辞退したのです。パウロは、宣教する者はただ働きをするべきだと言っているのではありません。現に、前述の第二コリントの箇所によれば、彼はマケドニアの信徒たちから経済的なサポートを受けていたことが明らかです。しかし、パウロはコリント人からのサポートを受け入れなかった、そしてそのことは、「福音を宣べ伝えるときに報酬を求めないで与え、福音の働きによって持つ自分の権利を十分に用いない」(18節)ことによって、コリントの信徒たちにすべてのことにおいて模範となるためでした。パウロの実践は、「自らの自由と権利を、他者への愛のゆえに制限すること」の手本だったのです。9章のおわりでは他者のための自制を競技者の態度にたとえています。それは、知識があり、豊かな人々ではなく、貧しく弱いものたちの側に立つパウロの態度です。