第35月曜 Iコリント8:1-13



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

『偶像にささげた肉』

 結婚の話から「偶像にささげた肉について」と、かなり話題が変わったように思われますが、その理由は、男女の関係のことと、この偶像にささげた肉のことが、コリントのクリスチャンからパウロにあてた手紙に質問してあったので(参照:7章1節)、パウロはその質問に一つ一つ答えているからです。

 第一コリント8章〜10章は、ひとつの段落をなしています。つまり、ここでのパウロの言説を理解する上で、この3章をひとかたまりとして読むことが非常に大切になってきます。この3章の中で、一見関係のない箇所でも、実は全体の中の一部としてひとつの文脈をなしており、全体の理解に不可欠だからです。

 「偶像にささげた肉」についての言及はパウロ書簡のほかにもいくつかあります(使徒15章28〜29節、黙示録2章14・20節)。このことから、初代教会において、この問題がいかに日常的なものであったかうかがうことができます。

 パウロはコリントのクリスチャンたちの質問に答えるにあたって、彼らの言い分に言及しています。すなわち、コリント人たちは、「私たちは父なる唯一の神がおられるだけで、世の偶像の神は存在しないという知識をもっている」という主張をしました(1・4・8節)。そのことについて、パウロは同意します。しかし付け加えて、「知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てる」と言います。

 10節にあるとおり、コリントのあるクリスチャンたちは、偶像の宮で、例祭のときに出される肉を食べていました。偶像の宮で肉を食べることは、彼らにとって社会的な意味もあったかもしれません。そして、それは自分たちに「知識」があるからだ、言いました。しかし、キリストにある本当の「知識」とは、兄弟姉妹の徳を立てる「愛」と離れてはありえないものです。彼らの言動が、教会のほかの信者に与える影響を考えよ、とパウロは言います。影響を受けて、また偶像の世界に戻ってしまうだけでなく、キリストからも離れてしまう信者がでることをパウロは案じているのです。それほど、偶像礼拝とそこでの社交はコリントに住む人たちに深く影響を及ぼす問題だったのでした。


【信仰告白】

[2] 使徒信条