コリントはローマでも指折りの大都市でした。多くの交易船が往来する港を2つも抱えた要所であり、丘にそびえ立つアフロディティ神殿にはたくさんの神殿娼婦たちが集められていたと言います。裕福で欲望に満ちた町。まるで現代の日本を彷彿させる大都市コリントでした。
アテネでの宣教の後、挫折と不安のなかでやって来たパウロにとっては余りにも大きな町コリント。しかし挫けそうになる心を支えたのは他でもない御霊ご自身の言葉でした。「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから」(使徒18章9〜10節)。
彼は神の約束を頼りに宣教に励み、その結果、生み出されたのがこのコリント教会なのでした。パウロにとっては子どもの様に愛しいその教会が、今、様々な問題を抱え込み、健全な教えから離れようとしているのです。パウロは危機感を持って手紙をしたためます。それがこのコリント人への手紙第一というわけです。
コリントの教会の抱える問題は多岐に渡りますが、パウロがまず取り上げたのは教会内での分裂問題でした。コリント教会はそれぞれの教師の名を担ぎ上げて、派閥争いをしていました。愛し合い支え合うはずの教会が、自らの権利を主張することに躍起になって、けなし憎しみ合っていたのです。彼らの争点は、誰からバプテスマを受けたかということや、どちらが優れた智恵を有しているかといったことなどであったようです。言い換えると、自らの正しさを主張するための争いでした。自らの居場所を守ろうとするための争いと言ってもいいかもしれません。
このような場面は、私たちの日常で様々に見かけるものです。私たちは自分を守るために、自分の正しさを主張します。ときには言い争いになっても、私たちは自らの潔白を主張します。そして、私の味方は誰か、敵は誰かと選り分けるのです。争いは、自らの正しさを誇るがゆえに起こるのです。
これに対してパウロは「しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです」(27節)と言います。パウロはここで、キリスト者とはどのような者であったかということを、改めて確認しているのです。私たちは神の前に、愚かな者でしかありません。とるに足りない者でしかありません。ただ憐れみにより御救いに与らせていただいた者にすぎません。私たちはこのことを、もう一度、覚えたいと思います。これこそが、争いのなかにあったコリント教会の、キリストにあって一つとなる秘訣だからです。そして私たちが一つとなる秘訣でもあります。
私たちはただ神の憐れみによって、キリストの知恵と義と聖めと贖いのゆえに、救われた罪人である。この事実こそが、私たちの違いを埋めるただ一つの秘訣なのです。