神には確かな救いの計画があると信じるなら、いかなる時にも、私たちは勝利の希望と新しい確信を持つことができます。神が私たちの味方であるなら、だれも私たちに敵対することはできません。神は、私たちを愛してご自身の御子をさえも惜しまず、死に渡されたお方です。あなたは失敗をして罪を犯すかもしれません。しかし、神はどんな時にもあなたを弁護してくださいます。サタンはあなたの罪を指摘するかもしれません。しかし、神はキリストにあるあなたを絶えず義と認めてくださり、罪に問うことはしません。たとえ、状況や感覚が悪いように見えても、神は常にあなたの味方です。神の愛から私たちを引き離すものは何もないのです。
勝利の歌から一転、パウロの悲しみの告白が始まります。それは、福音を拒絶し、まだ救われていない多くのユダヤ人同胞に対する悲しみです。パウロの悲しみは、クリスチャンであるなら誰もが持つ悲しみです。救われていない家族、友人、知人・・・救われていない多くの日本人・・・パウロのように救われていない魂に重荷を持ち、とりなし祈ろうではありませんか。