こうしてパウロ一行は、3か月の間、島に留まりました。そして、ようやく冬も去って、航海が再開される頃になったので、島で冬ごもりをしていたアレキサンドリヤの船に乗って出航しました。それからシラクサに寄港し、レギオンを過ぎて、無事、ローマの門戸であるポテオリに入港したのです。
その港町には主にある兄弟たちがいたので、パウロは彼らのところに7日間滞在しました。何年かの幽閉と数ヶ月に渡る航海を終えたパウロたちにとって、彼らとの交わりはどれほど勇気づけられ、慰められるひとときだったでしょう。こうして、パウロたちはローマに到着したのです。もっと言えば、エルサレムからローマへ、ついに福音が到着したのです。
ポテオリからローマまでは180kmの距離があり、およそ1週間の道のりです。彼らがローマに着くと、パウロは番兵付きで自分だけの家に住むことが許され、ある程度の自由が与えられました。それでも彼が囚人であることに変わりはなく、鎖につながれて、おそらく兵士に監視をされていたのでしょう。
それから3日後に、パウロはユダヤ人のおもだった人々を呼び集め、自分がローマに来るようになったいきさつを説明しました。パウロは、自分が先祖の慣習に対して何ひとつそむくことはしていないこと、ローマ人が自分を取り調べたが死刑にする理由は何もなかったこと、やむを得ずカイザルに上訴したことを述べました。そして、彼が最も強調したかったのは、自分はイスラエルの望みのためにこの鎖につながれているということでした。
しかし、不思議なことに、ローマのユダヤ人たちはパウロについて何も連絡を受けていませんでした。キリスト教がユダヤ教の一分派のように受け止められ、至る所で非難されていることは知っていたが、そのことも直接パウロ本人から聞きたいと思っていました。いずれにしても、パウロは直接ローマのユダヤ人に福音を語る機会が与えられたのです。
パウロのもとには、大勢のユダヤ人が訪れ、「彼は朝から晩まで語り続けた」とあります。その説教の中心の第一は神の国についてであり、第二は旧約聖書によってイエスさまが救い主であることを証言することです。それをある人々は信じ、ある人々は信じませんでした。こうして、パウロは異邦人への伝道に向かっていくのです。
「こうしてパウロは満二年の間・・・大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた」
「こうして」の言葉で、使徒の働きは閉じられます。しかし、復活のイエスさまが教会を通して、今も働いておられることに変わりはありません。「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、・・・地の果てまで、わたしの証人となります」(1章8節)。
「こうして」私たちも、聖霊の力を受けて、地の果てまで、この福音を宣べ伝えていく者にならせていただこうではありませんか。