取り調べが終わると、いよいよパウロはローマへと護送されることになりました。他にも数人の囚人がユリアスという親衛隊の百人隊長に引き渡され、彼の指揮のもと、アドラミテオという船に乗り込んで出航しました。ここからは「私たち」という記述が始まり、同行者ならではの迫力に満ちた描写で記されていきます。
最初に寄港したのは、フェニキヤの町シドンでした。そこでパウロは、ユリアスの好意的な計らいで、友人たちを訪問することが許されました。次は、ルキヤの町のミラに入港し、そこにイタリヤに行くアレキサンドリヤの船が停泊していたので一行を乗り換えさせました。その後、船は大きな向かい風のため難航し、ようやく「良い港」と呼ばれる所に着きました。
風を避けて「良い港」にいる間に、かなりの日数が過ぎていました。断食の季節も過ぎて、すでに航海は危険な時期に入っていました。それでも、船は出港の準備を整えていたので、パウロはこれまでの経験から、この航海の危険を警告しました。しかし百人隊長は、パウロの警告よりも、航海士たちのほうを信用して出港していきました。
それから間もなくして、パウロが心配していた通り、突然風向きが変わり、ユーラクロンという暴風が陸から吹き下ろしてきて、船はそれに巻き込まれてしまったのです。翌日には、人々は積み荷を捨て始め、さらに3日目には、自分の手で船具までも投げ捨てました。それでも事態は全く変わらず、まさに絶望的な状況を迎えていました。
しかしパウロは、食事ものどを通らないほど失望している人々に向かって語りかけました。「元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う者はひとりもありません。失われるのは船だけです。・・・私は神によって信じています」(22節) パウロは、単に人々を励ますためではなく、自分が必ずカイザルの前に立つことを確信していたから、そう語ったのです。
パウロは、こう言います。「彼に信頼する者は、失望させられることがない」(ローマ10章11節)
私たちの人生にも、突然の嵐が押しよせてくるようなことがしばしばあります。しかし、私たちはどのような状況に置かれても、神の呼びかけに耳を傾け、神の約束を信頼して進んでいきたいものです。