さて、翌日、アグリッパ王とベルニケをはじめ、多くの有力な人々が同席するところへ、フェストの命令によってパウロが連れて来られました。するとフェストは、パウロを紹介し、自分としては、彼は死に当たることは何ひとつしていないと思うことを話しました。そして、フェストは、アグリッパ王にパウロを取り調べてほしいと願い出たのです。
アグリッパ王に促されて、パウロは自らの弁明を始めました。パウロはまず、アグリッパ王のようにユダヤ人の慣習や問題をよく知っている人の前で、また多くの有力な人々の前で、自分の証しができることを大変喜びました。「忍耐をもってお聞きください」という言葉に、これまでとは違って、パウロもじっくり聴いてもらいたいという思いが伝わってきます。
パウロは、ユダヤ人としての自分の生活から話し始めます。それは、彼と同時代に生きたユダヤ人なら誰でも知っているし、証言できることでした。しかも彼は、ユダヤ教のなかでも最も厳格な派に従って、パリサイ人として生活していました。彼はその熱心さから、ナザレ人イエスの名に強硬に敵対するべきだと考え、多くのキリスト者を迫害していたのです。
アグリッパ王や多くの有力者たちの前で、パウロは自分の証しを語り始めました。まさに、主がアナニヤに、「あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です」と語った通りでした。イエスさまは、「人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、そのとき示されるからです」と言われます。私たちも、聖霊に導かれて、誰の前でも、大胆に自らの証しを語らせていただきたいと願わされます。