パウロがカイザリヤに監禁されて2年が経ったとき、ローマの総督がペリクスからフェストへ交代しました。フェストは着任するとすぐに、エルサレムへ上って、祭司長たちと会談し、そこでパウロの問題について話しを聞きました。祭司長たちは、カイザリヤからエルサレムへ行く間にパウロを殺そうという計画を立てていましたが、それは失敗に終わりました。
フェストは、カイザリヤに戻るとすぐに法廷を開いて、パウロに関する訴訟を取り上げました。そこでユダヤ人たちは、パウロを多くの重い罪状で申し立てましたが、いずれも証拠を出すことはできませんでした。それに対しパウロは、何も慌てる様子もなく、毅然として「私は何の罪も犯しておりません」と答えたのです。
両者の言い分を聞いたフェストは、このままでは解決を見出すことができないと判断し、またユダヤ人の歓心を買おうとして、法廷の場をエルサレムに移そうと考えました。しかし、パウロはこれを拒否して、神の導きを信じて、カイザルに上訴することを決心したのです。こうしてパウロは、ローマへと送られることになりました。
パウロをローマへ送る準備をしている間に、アグリッパ王とベルニケがフェストのもとへ訪問してきました。そこでフェストは、パウロのことについてここまでの経過を彼らに話し、「このような問題をどう取り調べたらよいか、私には見当がつかない・・・」と述べました。すると、それを聞いたアグリッパ王は、「私もその男の話を聞きたい」と申し出たのです。
パウロは2年間も監禁されていましたが、決して信仰を捨てることはありませんでした。そして、主が言われたように、「あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない」(23章11節)という約束を固く信じていたのです。私たちも、たとえ出口の見えないような試練のなかにあっても、「彼に信頼する者は、失望させられることがない」という約束を常に心に覚えておきたいものです。