テルトロの訴えに続いて、パウロが総督ペリクスに弁明します。パウロはまず、テルトロとは対照的に、お世辞のようなことを言わず、事実のみをあげて一つ一つ弁明していきます。
第一に、「世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている」という訴えに対しては、自分は礼拝のためにエルサレムに上って来たのであって暴動を起こすためではないと反論しました。
第二に、「ナザレ人という一派の首領」という訴えに対しては、自分は彼らが異端と呼んでいる特別な群れに属していることは認めましたが、自分たちの方が正統的な教えであることを表明しました。
第三に、「宮さえも汚した」という訴えに対しては、自分は同胞に施しをし、また供え物をささげるために久しぶりに帰って来たのだと反論しました。
ペリクスはキリスト教について相当詳しい知識をもっていたので、パウロの弁明を聴いて、大体の事情がわかったようです。しかし、すぐにパウロを釈放することはせず、ある程度の自由を与えて監禁することにしました。
それから数日後に、ペリクスは妻ドルシラと一緒に、おそらくパウロから個人的に、「キリスト・イエスを信じる信仰」について、「正義と節制とやがて来る審判」について話しを聞きました。しかし、ペリクス夫婦は恐れは感じつつも、悔い改めることはしませんでした。むしろ、金に心を奪われて、救いへの道を見失ってしまったのです。
イエスさまは、こう言われました。「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう」(マタイ16章26節)
今日、キリスト教に関心を持つ人は、決して少なくありません。しかし、救いへの道を見出す人は少ないでしょう。イエスさまの贖いによって救われた私たちだからこそ、大胆にその信仰を告白していきたいと思わされます。