ヤコブたちの提案によって、ユダヤ人のきよめの儀式に加わった(21章20〜26節)パウロでしたが、アジヤからのユダヤ人によって襲われてしまいました。彼らの訴え(21章28節)は、まったくのでたらめで、パウロとエペソ人トロピモとはエルサレムの町でいっしょにいただけで、神殿には連れて行かなかったのです。
このことで町中が大騒ぎとなったため、ローマ軍の千人隊長が百人隊長らとともにローマ兵を率いてきます。群衆の叫びは、めいめい勝手なことだったので、確かなことを調べるために兵営にパウロを連れて行くことにしました。こうしてパウロは、ユダヤ人の暴徒から守られます。主はパウロを守るためにローマ軍をも用いられたのです。主は私たちを守るために、あらゆることを用いられるのです。
危機一髪のところで助け出されたパウロでしたが、この危機的状況のなかでも冷静に千人隊長に願い出て、ついさっき自分を殺そうとしていた群衆に語りかけ始めます。何とかして主イエス・キリストの救いを伝えるために機会を逃さなかったのです。
パウロの情熱と知恵は、いったいどこから来たのでしょうか。それは「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、・・・わたしの証人となります」(1章9節)と主イエスが約束されたように、聖霊なる神の働きに他なりません。
22章に入って、パウロは、自分の救いのあかしを語りはじめました。キリスト者がとにかく語ることは自分が主イエス・キリストとどのように出会って、救われたかということです。