パウロは、エペソ教会の指導者たちに別れのメッセージを語ります。これらのメッセージにキリスト者としてのあり方を教えられます。
パウロは自分の歩んできた福音宣教の道を振り返ります(18〜21・27・31・33〜34節)。彼の働きは教会を通して「主に仕えてきた」(19節)歩みでした。キリスト者はキリストの教会にあって、主に仕えるのです。そこには謙遜の限りを尽くす(19節)という、主イエス・キリストを模範とした姿勢が求められるのです。
パウロにこの先、迫害と苦しみが待っていることは、聖霊によって示されていましたし、容易に想像できました。しかし、彼は困難のなかでも神から与えられた「走るべき行程」があり、それを走り尽くすことが、彼の使命に生きることだと受けとめていました。教会を導くために神に立てられた者は、自分自身と群れ(教会)全体に気を配りながら(28節)、キリストの羊を牧していく任務が与えられているのです。パウロだけでなく、主は、あなたの「走るべき行程、主イエスから受けた任務」を用意しておられるのです。
エペソ教会から離れていくパウロは、長老など指導者たちを成長させ、福音を伝えていくために、神の恵みとみことばにゆだねます。聖霊によって与えられる神のみことばの力が、私たちを神の御国を継がせる祝福へと導くのです。
パウロは、教会とは何か、またこれからの教会をどのように導くべきかを示すなかで、将来の危機に備えるべきことを示します。曲がった教えが起こるなかで、パウロが示した福音の真理を思い起こすことが、曲がった教えに流されない方法なのです。そして困難のなかにありながらも、労苦して弱い者を助け、「受けるよりも幸いである」ことを思い出して歩むのです。
私たちにも与えられた主イエスにある任務があり、走るべき行程があり、困難にあっても、神の恵みとみことばが与えられています。そのみことばを思い起こすなかに、私たちを召してくださった神の栄光が輝いていくのです。