アポロという人がエペソに来た。アレキサンドリヤ(ギリシャ語を共通語とし、七十人訳聖書が作られた地)生まれで、ユダヤ人家庭に育ち、当然のように聖書に精通し、しかも、主イエスが救い主だと認識していた。しかし、バプテスマは、ヨハネのものしか知らなかった。彼が会堂で語るのをプリスキラとアクラとが聞いて、彼を招き入れ、「神の道をもっと正確に彼に説明した」(26節)。主イエスの福音を語ったのであろう。その結果、彼は有能な伝道者となり、アポロはコリントで大きな働きをすることとなった(第一コリント3章4〜6節)。
アポロを指導したのは、信徒夫妻であった。いつの時代も、伝道者のように信仰を指導できる成熟した人が、信徒のなかにおられる。私たちも皆、このような信徒へと、成長させていただきたい。
アポロがコリントにいた時、パウロはエペソに来た。パウロはここで、「言葉による宣教」と「わざによる宣教」の2種類の宣教を展開する。
パウロがエペソにいる主の弟子に尋ねたところ、聖霊の存在を知らず、また、ヨハネのバプテスマしか受けていなかった。パウロは語り、主イエスの名によるバプテスマを彼らに授けたところ、聖霊が彼らにくだった。また、パウロは、会堂で3ヶ月間、大胆に神の国について論じ勧めた。その後、反対する者たちが出たため、人々が集まって講義を受けたり時間を費やす「ツラノの講堂」で2年間、毎日論じ続けた。その結果、エペソのみならず、アジヤ一帯の住民への宣教がなされた。
パウロによる宣教は、言葉によるのみならず、ときには、わざ(神の奇蹟)によるものであった。主イエスの名による悪霊の追い出しを、信仰のない者がパウロに真似て行なおうとしたところ、逆に悪霊に攻撃された。このことがエペソ中に知れわたり、皆が恐怖に襲われ、主イエスの名が崇められた。信者が大勢来て、罪を告白した。魔術をしていた者たちは、大量の魔術の本を焼き捨てた。「こうして、主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなって行った」(19章20節)。
宣教において、「言葉による働き」と「わざによる働き」は、ともに神に用いられる。それは、「福音伝道」(霊的必要へのアプローチ)と「社会的関心」(その他の必要へのアプローチ)の両者でもある。その両者とも含めたものが、「宣教」である。
私たちも、人に指導できるまでに成長させていただこう。また、言葉と行ないをもって、宣教しよう!