アテネで知恵を用いて語って、あまり成果の上がらなかったパウロは、コリントへ行った時、十字架以外のことは語るまいと決心していた(第一コリント1章22〜23節・2章2節)。
コリントは、商業都市、貿易の中継地都市として繁栄し、偶像礼拝と不道徳がはびこる町であった。パウロは、ここに着いて、いつものように会堂に入り、ユダヤ人にもギリシヤ人にも語った。しかし、いつもと違う点があった。クラウデオ帝によるユダヤ人追放令によりイタリヤから退去させられ来ていたアクラとその妻プリスキラと共に、天幕造りをしたことである。彼は、伝道者は宣教の働きで生活すべきと認識していた(第一コリント9章14節)。しかし、その権利を主張せず、必要なときは自ら汗して働いた。そして、献金で生活できるときは、宣教に専念した。
シラスとテモテが着き、パウロは宣教に専念できるようになり、ユダヤ人に、主イエスがキリストであることを力強く証しした。しかし、彼らが反抗し続けるので、血の責任を彼ら自身に負わせ、「今から私は異邦人のほうに行く」(6節)と言い、異邦人宣教に専念することを表明した。パウロは、神を敬う人の家に行き、多くの人に福音を語った。人々は、主を信じて洗礼を受けた。
そんなある夜、主が幻の中にパウロに現れて言われた、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。・・・この町には、わたしの民がたくさんいるから」(9〜10節)。迫害を受けてきたパウロに、主は恐れず語り続けるべきことを語られた。パウロが恐れずに語り続けるべき理由は、主がともにいてくださるからである。また、神の民となる人々が大勢いるからである。
パウロは、一年半留まり、神の御言葉を語り続けた。訴えられることはあったが、すぐに釈放された。
私たちも、自分で宣教の門を閉ざすことなく、聖霊に信頼し、宣教の働きを展開していきたい。
パウロは、コリントでの働きを終え、頭をそった(ユダヤ人宣教への配慮からの「ナジル人の誓願」であろう。民数記6章1〜21節)。そして、エペソ、カイザリヤ、エルサレムを経て、第2回宣教旅行の出発地アンテオケへ帰還した。そして、改めて第3回宣教旅行を開始した(23節)。
私たちも、人を恐れず、語り続けよう! 主がともにおられ、人々を救いに導かれる。