パウロらが牢に入れられた次の朝、長官らが警吏たちを遣わしてパウロらを釈放しようとしたところ、パウロは、ローマ市民である自分たちを正当な裁判もせずに鞭打ち投獄したことに対して、抗議した。パウロとシラスはローマ市民権を持っていたので、法的保護があり、鞭打ちという重い刑罰は免除されるはずであり、長官側の手落ちであったからである。長官たちは、自分でやって来て詫びた上、町から出るように願った。2人は、ルデヤの家に戻り、勧めをし、宣教に出かけた。ここに、パウロが宣教において世の制度をも軽んじないで用いようとした姿勢が、見られる。私たちも、この世での宣教において、正しく知恵を用い、賢く振る舞いたい。
テサロニケに着いたパウロたちは、「聖書に基づいて彼らと論じた」(17章2節)。そして、キリストは必ず苦難を受けて復活すべきこと、主イエスこそユダヤ人が待ち望んでいたキリストであると説明し、論じた。信じる者と信じない者が起こった。信じる者の中には、多数のギリシヤ人もあった。信じないユダヤ人たちは、パウロたちを探したが見つからないので、ヤソンたちを市の当局者の所に引きずって行き、パウロたちについて大声で言った、「世界中を騒がせて来た者たちが、ここにもはいり込んでいます。・・・彼らはみな、(カイザルでない)イエスという別の王がいると言って、・・・そむく行ないをしているのです」(17章6〜7節)。パウロたちの宣教が世界大となったことを認め、その一方で、主イエスを霊的王とする福音を曲解していた。
パウロたちは、夜の間にベレヤに移動し、会堂で教えた。ベレヤのユダヤ人は、テサノニケのユダヤ人より素直で、教えを受け入れ、パウロの語ることが正しいかどうかを「毎日聖書を調べた」(17章11節)。その結果、多くの者が信じた。ギリシヤ人たちも信じた。しかし、テサロニケの人々が押しかけて来て、群集を扇動して騒ぐため、シラスとテモテはベレヤに留まるが、パウロは遠くアテネまで送られて行った。
私たちも、この世において、正しく知恵を用いて賢く振る舞い、聖書に基づいて主イエスこそ救い主であると証ししよう!
また、人々が聖書に真理を求めて発見するように、人々を導こう!