パウロたちは、マケドニヤ人の叫びの幻を見て、神の御心と確信し(9〜10節)、ピリピに行った(12節)。安息日になって、祈り場を探して川のほとりに行った。会堂を造るのに必要な10名のユダヤ人がおらず、会堂がなかったのであろう。そこで、ルデヤとその家族が救われた。大きな働きには見えない。しかし、その後マケドニヤやアカヤで拡大していく宣教の初穂となった。私たちも、神からの幻を見て、確信して、行く、そういう者でありたい。
占いの霊につかれた女奴隷と出会った。その悪霊はパウロたちが神のしもべであることがわかっていたので、幾日も後を追って来て、叫んでいた。悪霊によって宣伝されるのは相応しくなく、パウロは主イエスの名によって、彼女から悪霊を追い出してやった。今の時代にも、占いはよくなされ、また、悪霊は人についたり、神の働きの邪魔をする。私たちは、それらを避けなければならない。幸い、主イエスの名は、悪霊を退かせる力がある。
女から悪霊が出て行ったことにより、主人たちは儲ける望みが絶えた。そこで、言いがかりをつけ、パウロたちを捕え、長官たちに引き渡した。パウロたちは、着物をはがされ、鞭で打たれ、牢に入れられ、足には足かせが掛けられた。さらに、看守の厳重な監視が始まった。とても、宣教どころではなくなった。
この状況下で、何とパウロたちは真夜中に神に祈って賛美した。そのとき、神の御業が始まった。大地震が起こり、牢の扉が全て開き、皆の鎖が解けた。全囚人を脱走させたことの刑罰を恐れて自殺しようとした看守の目の前に、理解しがたい光景が展開していた。囚人たちは皆、そこにいた。看守は、この生死の狭間で、根源的な救いをパウロに求めた。パウロは言った、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(31節)。それは、「あなたでも家族でも、主イエスを信じるなら救われる」との意味である。看守とその家族は信じ、心から喜んだ。現代においても、主イエスこそ、永遠の命を与え、いかなる状況下でも神の平安を与える、救い主である。
主は、悪霊の邪魔をも退け、いかなる状況にも平安を与え、証しする機会と変えてくださる。救い主を証ししよう!