第26金曜 使徒10:9-33



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

 1節から8節までコルネリオが神の幻を見たことと連動するように、ヨッパにいるペテロにも神の導きがありました。昼の祈りをささげるために屋上へと上ったペテロは、やがて空腹を覚え、不思議な幻を見ます。それは天から下ってくる入れ物でした。中には地上のあらゆる種類の四足の動物や、はうもの、空の鳥がいます。律法に示された汚れた動物がいました。中を眺めるペテロに声がかけられます。それは「ペテロ。さあほふって食べなさい」という驚くべき命令でした。「できません」とのペテロの答えは、きよいもの、きよくないものを定める律法を守ってきたことを考えるならば当然のことでした。しかし、声の主は「神がきよめたものをきよくないと言ってはならない」とペテロを教えるのです。

 この不思議な幻を3回体験したペテロはその意味を思い巡らします。そのペテロに御霊は語りました。「訪ねて来る3人の者に会うように」と。ペテロはその言葉に従い、しもべたちを迎えて用件を聞き、コルネリオの待つカイザリヤへと行くことになったのです。
 本来、ユダヤ人が異邦人のもとを訪ねることは律法にかなわないと考えられていました。その偏見にかつてのペテロも生きていたのでした。しかし、3回の幻と御霊の語りかけの体験は、神の本当の御心を示し、ペテロの価値観を新しくしたのです。ですからペテロは、コルネリオに会うことをためらうことなく、カイザリヤに行くことができました。

 私たちはどのような価値観に基づいて人や物事を見ているでしょうか。実は神の言葉とかけ離れた考えや習慣に根拠を置いてはいませんか。信仰の歩みとは、神の価値観、世界観が新たに築かれていく歩みです。私たちは神の言葉を聞くことと共に神の価値観に生きることを求めようではありませんか。


【信仰告白】

[2] 使徒信条