31節のみことばは教会の姿を教えます。教会はステパノの死とサウロによる迫害という困難に直面しましたが、結果的にはユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地に広がっていました。サウロも今や力強い仲間となっています。教会は平安を保ち、建て上げられ、主を恐れて歩んでいます。聖霊の励ましが常にありました。教会に属する者に神様が備えてくださる豊かな恵みをここに見ることができます。何があっても揺るがず前進する教会の姿があるのです。力強く導いてくださるお方によって今日も教会は歩みます。
32節からは、再びペテロが登場します。巡回伝道の働きのなかにあった彼はルダを訪れ、そこで中風で8年間も寝たきりのアイネヤと出会います。ペテロは語りかけるのです。「アイネヤ。イエス・キリストがあなたを癒してくださるのです。立ち上がりなさい。そして自分で床を取り上げなさい」と。するとこれまで動けなかったアイネヤは立ち上がり、自らの手で生活ができるようになりました。この癒されたアイネヤを見て、多くの人が主に立ち返りました。
ペテロはその後、地中海に面した町ヨッパに向かいます。実はヨッパに住む女弟子タビタが死んでしまったために「すぐに来てくれ」との緊急の要請があったのです。ヨッパに着くと、悲しみに暮れるやもめたちがいました。タビタを悼む彼らの姿からは、大切な人との別離の深い悲しみが伝わってきます。
しかし、ペテロが屋上に置かれたドルカスの遺体に語りかけたとき、タビタは目を開けるのです。「タビタ、起きなさい」
この言葉は主イエスが「少女よ。あなたに言う。起きなさい」(マルコ5章41節)と語りかけて少女を生き返らせたあの場面を連想させます。この生き返ったタビタの姿もまた、多くの人を信仰へと導きました。
使徒ペテロの歩みは主イエスが生きて働く歩みでした。主イエスはアイネヤを癒され、タビタを生き返らせて、宣教のわざを祝福してくださいました。
さまざまな縄目にかかった私たちも、主にあって自由をいただくことができます。そして死さえも打ち砕くいのちをいただくことができるのです。主イエスからの希望があります。
また主イエスによって自由にされ、いのちをいただいた者の姿は、この世界に大きな衝撃を与えることを忘れてはなりません。
さて、カイザリヤにはコルネリオという人がいました。彼は異邦人のローマ軍人でありましたが、神を恐れ、祈りをもって歩む人でした。神はこのコルネリオに白羽の矢を立てました。神の言葉に従いコルネリオはペテロを招くためにしもべたちを遣わします。教会は新たな歴史を迎えようとしていました。