主イエスと出会ったサウロのために神はダマスコに1人の人を備えておられました。
アナニヤです。主イエスはアナニヤの前に現れ、祈っているサウロのもとを訪ねよと命じます。すでにサウロにはアナニヤが来ることを知らせてあるとのことです。神のみこころとは、立場の異なる人にも明らかにされ、調和へと導かれることを思います。
はじめは渋るアナニヤです。しかし、「わたしの選びの器だ」とサウロについて語る主イエスに彼は従うのです。「はい。主よここにおります」と預言者サムエルのように答えたアナニヤのまっすぐな信仰の応答でした。
こうしてアナニヤを通してサウロの目は開かれ、宣教者として立ち上がるのです。「イエスは神の子である」とのメッセージはサウロの新たな生涯の原動力でありました。サウロの回心を誰もが驚きました。ユダヤ人も教会もその変化を驚き受け止められません。ユダヤ人はサウロを殺そうと立ち上がり、エルサレム教会は彼を受け入れるのを躊躇したのです。これまでの迫害のための歩みを考えるならば当然でした。
しかし、慰めの子バルナバが一肌脱ぐことによってサウロは教会の交わりに加えられたのです。そしてギリシャ語を使うユダヤ人への宣教など、あのステパノと同じ歩みへと踏み出したのでした。教会は人の思いや計画を超えた神の御心によって動かされていると気がつきます。
サウロの回心と新しい歩みは人には予想できなかったことですから、教会さえも受け入れることは困難でした。しかしサウロを交わりに迎えるために、主イエスはアナニヤやバルナバを用いてくださいました。私たちもまた素晴らしい神のご計画のために用いられる神の器であることを覚えて、神の声を聞いて歩んでいきましょう。