第26月曜 使徒8:1-25



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

 ステパノの死を境に激しい迫害の炎が容赦なく教会に襲い掛かりました。迫害者サウロを前にクリスチャンたちはエルサレムから散らされていきます。ステパノの死の悲しみに追い討ちをかけるこの事態に多くの者が途方にくれたことでしょう。しかし、迫害は教会を痛めつけるただ悲惨な出来事として終わりませんでした。迫害によって散らされた人々はキリストの証人としてみことばを宣べ伝えたのです。「エルサレムからユダヤ、サマリヤ、そして地の果てへ」との主イエスの約束が実現する時でした。

 私たちは大きな苦難を前にすると絶望を覚え行き詰ってしまうものです。しかし、神は私たちの苦難さえもご自身の良き計画のために用いてくださる方であることを覚えましょう。

 さて、サマリヤへと広がった福音は、多くの人々に救いの喜びを与えました。その中に魔術師シモンという男がいました。彼は魔術を行い、人々を驚かせては注目を集めていました。しかし執事ピリポの働きを通して魔術師シモンも信じて洗礼を受けたのです。

 ところが、彼が常に関心を寄せていたのはみことばではなく、ピリポの行なうしるしと奇蹟でありました。やがて魔術師シモンが聖霊を授ける権威を求めた時、その化けの皮がはがされます。彼は魔術のように神の賜物を扱い、今まで以上に自分に注目を集めることをたくらんだのです。名誉と金儲けのために聖霊の権威を求めたのです。確かに洗礼を受けたシモンでしたが、彼の生き方は古いままであったのです。

 私たちも隠れた動機について問われます。素晴らしいことを願いつつも、実は魔術師シモンのように自分に注目を集めるための願いではないだろうかと時に探られます。私たちの新しい生き方は神の栄光を求める歩みです。注目を自分にではなく、神に向ける神の栄光のための歩みを求めていきましょう。


【信仰告白】

[2] 使徒信条