さて6章の後半から、偽証を打ち立てられてまで議会に引っ張ってこられたステパノである。ステパノは6章で問題が起こったときに、選び出された7人の筆頭に記されている。その上、「恵みと知恵に満ち、霊によって語る」と説明されているし、使徒たちと同じく不思議な業としるしも行なっており、彼がどんなに信頼された人物であったか、また本当に神に従う人だと認められていたかを想像することができる。訴えた人々は、ステパノは、1.聖なる所を冒涜し、2.律法に逆らった言葉を語ってやめず、3.神を冒涜したというのであった。ステパノは天使のように輝く顔を上げて、これに答えてゆく。
ステパノは旧約聖書に基づいて、丁寧に自分の信仰が何に立っているのかを語り始める。彼の姿は中国の投獄されるクリスチャンリーダーたちを思わせる。中国はまだまだ家の教会への取締りが続き、捕らえられた人々は、労働や拷問など迫害下にある。リーダーたちは何度も捕らえられている人々が多く、その痛みの経験は平和に暮らす自分には、聞くに堪えないほどだ。しかし彼らの天使のように輝く顔を忘れることはできない。キリストを否むことだけは、命を天秤に掛けられてもできないという信念と、共にある尽きない喜び。彼らはキリストの救いに満たされていて、何をも恐れないのだ。彼らは伝道生涯のなかで、いつも捕らえられる事は覚悟している。だから時間を惜しんで聖書の勉強をし、まだ福音が届いてない人々のところへ歩き続ける。きっとステパノも、使徒たちへの迫害を見ながら、自分も覚悟していたことであろう。揺るがない彼の信念は、日々積み重ねた神への想いと感謝のあらわれに違いない。今日、私の信仰の信念は揺るがない土台にしっかりと立っているだろうか。