第25月曜 使徒4:1-22



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

 この箇所でペテロとヨハネによってなされた、その力ある伝道をのぞいてみよう。
 「・・・二人の語った言葉を聞いて信じた人は多く、男の数が5千人ほどになった」(4節)
 読んでいるだけで、炎のように熱くて力強いありさまが伝わってくる。2人の話を聞いてる人々、周りにいた民衆も完全に彼らの言葉にもっていかれている。聖霊が2人を揺るがない信仰に立たせ、人々の心を獲得し、恐れるものは何もないと、ぞくぞくするほど伝わってくる。

 しかし実際、彼らは痛みのなかを突き進んでいる。乱暴に捕まえられ投獄されている(3節)し、脅されている。伝道に迫害はつきものとは、言うは易し。伝道をして、けなされ、ののしられ、・・・耳にいたい言葉は、時間が経つと少しづつ胸の辺りまで降りてくるような感じで、胸も締めつけられたり、深呼吸を繰り返さなければ平静を保てなかったり。体に矢を何本か突き刺さってる感じと表現したらよいかもしれない。

 そこで23節からの記事に目をとめてみたい。ペテロとヨハネは釈放されると仲間のところへ行き祭司長や長老たちの言ったことを残らず話した。2人の持ち込んだ報告は仲間をも奮い立たせ、一挙に聖霊充満!彼らは一つとなって、ますます勇敢にキリストを伝える使命を果たしたいと願い、祈っている。「仲間のところ」が、2人にとって霊的にも肉的にも家(ホーム)となっている。この家はすごい!興奮する喜びを同じ思いで受け止め、悲しみは「大変だったね、よくやったね」と一緒に悲しみ、一緒に泣いてくれる仲間が集まっているのだ。同じ思いになって共感し、お互い矢を抜きあって共に癒され、共に奮い立つので、激しい霊的戦場にも、再びキリストの素晴らしさを掲げて歩みだせるのではないだろうか。

 私たちの日々も、キリストの栄光を現すために用意されている。勇敢に走り続けるために、出発点となる家(ホーム)も点検してみたい。家庭や教会は私の出発点の家だ。ないがしろにできない大変重要な場所なのだ。そこに私のことを日々祈り支え、どんな話を残らずしても共感し、神の御心を共に受け取ってくれる人はいるだろうか。いないならば、まず自分から、真の出発点となる志をもって歩みだそう。出発点は疲れた兵士が帰る場所。安らぐ場所。癒す場所。神の平安に包まれる場所。そして崇高な志に立たせる場所。勇気と希望に押し出す場所。霊的一致は神の喜ばれるところ。聖霊充満、力ある伝道は決して夢ではないのだ。私のホームが必要だ。そこは間違いなく神の臨在にあずかるのだから。


【信仰告白】

[2] 使徒信条