第24金曜 使徒2:1-28



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

 本日は、聖霊が使徒たちに降り、教会が誕生した記事を読みます。

 ヨハネ福音書3章8節にあるように、風は思いのままに吹きます。どこから来て、どこへ行くのか知ることはできません。わたしたちは、聖霊という自由な風を、予想したり管理したりすることはできませんし、見ることができないのです。聖霊を直接見ることはできません。しかし、木の葉が風に震えるように、風によって、聖霊によって揺り動かされた人たちやその働きをみることはできます。
 聖霊があたかも見えるように聞こえるように、この上なくはっきりとあらわされたのが、このペンテコステの出来事だったといえましょう。そして、その聖霊の働きは今に至るまで、教会とそこに集う人々を方向づけ、揺さぶり、導いています。

 キリスト者であった詩人、八木重吉の詩に、次のようなものがあります。
 「父よ ふしぎなる 聖霊のちからよ、われにあるごとく 父にあるごとく、ふしぎなるちからよ われを、父につれゆくめぐみよ、わが魂のうちに芽ざしたる、ただひとつ 罪なき芽よ」
 八木重吉らしい、純粋に自分の内側を見つめようとした詩だと思います。聖霊を「ただひとつ、罪なき芽よ」と言っています。芽というのは成長します。イエス様が、神の国はからしだねのようなものであると言われました。聖霊はそれを芽吹かせてくださり、私たちのうちで育ててくださるのです。

 9〜11節には、そこに居合わせた人たちの出身地名がズラリと並んでいます。こうした国々の言葉を、使徒たちは片っぱしから話していたことになります。さらに5節で「天下のあらゆる国から」とわざわざ言っているように、使徒が喋っていた言葉は、世界中の言葉を網羅していたことがわかります。
 聖霊が下った使徒たちは、様々な国の言葉を語り始めました。しかし、彼らが語っていたことの内容は、たったひとつでした。11節の後半をご覧ください。「彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは」。神の偉大な業。それは、神がイエスを通してなさった偉大な救いの御業のことです。
 私たちに与えられた言葉をもって、私たちも今日、主の偉大な救いの御業を証していこうではありませんか。聖霊があなたと共におられます。


【信仰告白】

[2] 使徒信条