第24金曜【使徒2:1-28】



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

『主の名を呼ぶ者は、みな救われる』

 「五旬節」(1節)は、「過越の祭り」「仮庵の祭り」と並び称されるユダヤ三大祭の1つです(申命記16章16節)。過越の祭りから7週間後(数えて50日目)に行われることから(レビ記23章15〜22節)、「七週の祭り」とも呼ばれます。また、ギリシャ語の「50(ペンテーコンタ)」から、「ペンテコステ」とも呼ばれます。

 主イエスの昇天から1週間が過ぎ、この日も弟子たちは、主イエスのおっしゃった「父の約束を待ちなさい」ということばに従い、一つ所に集まっていました。皆、心を合わせ、祈りに専念していたのでしょう(1章14節)。
 すると突然、天からの激しい風が吹いてくるような響きとともに、炎のような分かれた舌が現われ、ひとりひとりの上にとどまり、皆が聖霊に満たされて、外国語(異言)で語り始めたのです。様々な国語で、ユダヤ人だけでなく、信じるすべての人が救われる福音を。
 「天来の風」、旧約聖書では「風」も「霊」も同じ「ルーァハ」というヘブライ語があてられています。そして「炎のような舌」です。「霊と火によるバプテスマ」、かつてバプテスマのヨハネが預言したとおりに(ルカ3章16節)、主イエスのおっしゃった「父の約束」は、ここに成就したのでした。

 さて、当時のエルサレムは、負の遺産によって国際都市になっていました(5節)。かつて、紀元前7〜6世紀に、新バビロニア帝国によって南ユダ王国が滅ぼされてから、ユダヤ人は捕らえ移されたり(バビロン捕囚)、諸国に離散して住んでいました。ディアスポラ(離散ユダヤ人)と言われる人たちです。紀元1世紀には、エルサレムに戻ってきた定住者もいたようですが、ユダヤ三大祭のときにだけエルサレムに上ってくる者もいたようです。また、ユダヤ教に改宗し、エルサレムに住んでいた“本当”の外国人もいたようです(11節)。

 散らされていた者たちが、言葉の壁を越えて同じ福音を聞く。それは輝ける象徴でした。
 言葉の壁と人々の分断は、人類の初めの頃に、バベル(バビロン)の塔で起きた罪の呪いでした(創世記11章1〜9節)。「神から離れ、神のようになる」という原罪のあらわれがバベルの塔であり、そこで人は、神のかたちに造られたときの「ことば」を失い、お互い愛し合うこと、一致することを捨てました。神との断絶が隔ての壁を生み、人との隔ての壁をも生み出したのです。
 しかし今や、主イエスの十字架による罪の赦しが、神と人との隔ての壁を打ち壊し(エペソ2章14節)、和解をもたらしたのです。「主の名を呼ぶ者は、みな救われる」(21節)のです。ペンテコステの奇蹟は、その福音のあらわれでした。

 そして、聖霊に押し出されて人々の前で説教を始めたのは、あのペテロでした。