第24木曜【使徒1:1-26】



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

『父の約束を待ちなさい』

 「使徒の働き」は、「ルカによる福音書」と同様、テオピロに宛てて書かれていることから、「第二ルカ」と呼ばれることもあります。
 「ルカ」は異邦人(非ユダヤ人)でしたが、キリストを信じてからは、パウロの親友・同労者として、ともに伝道旅行にでかけました。医者であり、その高い教養が、福音書や使徒の働きの執筆にも生かされたようです。
 「テオピロ殿」(ルカ1章3節)が何者だったかは諸説ありますが、ローマ帝国高官の入信者だったと見るのが有力なようです。
 ルカは、第1巻の福音書において、主イエスのメシヤ(救い主)としての言行録をとおして、キリスト教信仰の中核と原理を示しました。第2巻の使徒の働きでは、主イエスの福音の真理が、歴史のなかで、どのように世界大の広がりをみせ、宣教の実を結んでいったかを記します。本書は、聖霊の絶えざる導きと励ましにより、キリスト教会という歴史の場で、強力な反キリストの勢力に対抗しつつ、力強く主イエスの福音を宣教していく、使徒たちの働き、あるいは行動の記録です。

 主イエスは復活後、40日間、弟子たちに現れて、神の国のことを語り、数多くの確証をもって、ご自分の生きていることを示されました。各福音書の巻末にその様子が記されています。有名な大宣教命令(マタイ28章18〜20節)も、この時期のガリラヤでの説教でした。
 ルカ福音書の巻末には簡潔に昇天の記事がありましたが(24章50〜51節)、今日の使徒の箇所でもう少し詳しく言及されます。主イエスは、エルサレムのそば、オリーブ山の東麓にあるベタニヤ付近(ルカ24章50節)で天に昇っていったと言われます。

 そのとき主イエスは、弟子たちに新しい使命を授けました。「わたしの証人」(8節)として、「キリストは苦しみをうけ、3日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改め」(ルカ24章46〜48節)について、地の果てにまで宣べ伝えなさい、というものでした。
 「イスラエルの再興」(6節)という弟子たちの問いには、直接お答えになりませんでした。この期に及んで地上の目に見えるものに縛られている弟子たちに愛想を尽かされたとも思えますが、真のイスラエルを「キリストの教会」と理解するならば、再興以上の、新しい出発について、弟子たちの思いを遙かに超えたすばらしいビジョンを、主イエスは示されたとも言えます。

 このすばらしい任務に向けて勢いよく出ていく、輝かしい第一指令は! ・・・なんと、「待て」でした。ガクッ・・・。
 しかし、出鼻をくじかれるというような人間的な心配は無用です。そもそも、神のプロジェクトは、人間の力や知恵で進められるような、生易しいものではありませんでした。天の父の約束された「聖霊」(4〜5・8節、ルカ24章49節)を受けなければ、出ていく力を得ることはできなかったのです。だから、その時(神の時)まで「待て」というのが、使徒たち、証人たちの、栄光ある最初の任務だったのです。

 さて、待つ間、ユダの抜けた後の使徒が選ばれます。使徒職が加えられたのは、2000年の教会の歴史において、後にも先にもこのときだけです。そもそも使徒職の条件が、「主イエスが私たちといっしょに生活された間、・・・いつも私たちと行動をともにした者」(21〜22節)であることから、必然的に限られます。さらに、この後しばらくして、初代教会の初期にヤコブが殉教し(12章2節)、その他の使徒たちも殉教していきましたが、後任は立てられませんでした。マッテヤを加えた後の十二使徒が不動(永久欠番)であるのは、天の都の城壁に記された名が不動であるからなのでしょう(黙示録21章14節)。ユダの死とこの選びが、極めて特別だったことがうかがえます。