ガリラヤ宣教に始まった主イエスの公生涯の物語は、テベリヤ湖畔(ガリラヤ湖畔。参照:6章1節)の出来事で締めくくられます。
ガリラヤ湖、そこはペテロが主イエスから、「これから後、あなたは人間をとるようになるのです」(ルカ5章10節)と言われ、弟子に召されたところです。
あの日も、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした(ルカ5章5節)。
夜が明けそめたとき、岸辺にいた人が声をかけます。「網をおろしなさい」
あのときと同じです。
そして大漁。イエスの愛されたあの弟子が気づきます。「主です」
久しぶりの主イエスとの朝食。3年間、いつもあった光景。
食事を済ませてから、主イエスはペテロに尋ねられました。「あなたはわたしを愛しますか」
かつてペテロは、「あなたはわたしを誰だと言いますか」という主イエスの問いに対して、「あなたは、生ける神の御子キリストです」と告白し、主イエスから「幸いなるかな」と祝福されたことがありました(マタイ16章15〜19節)。
最後の晩餐のときも、「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私はあなたを知らないなどとは決して申しません」(マタイ26章35節)と、誰よりも熱心でした。
けれども結局、鶏が鳴く前に3度も「そんな人は知らない」と、しまいには呪いをかけて誓ってしまいました(マタイ26章74節)。
「あなたはわたしを誰だと言いますか」
という第一の問いに、「生ける神の御子キリスト」と告白しながら、「知らない」「知らない」「知らない」と、3度も呪い誓ってしまった・・・、そういうペテロに対して、主イエスは再び問われたのです。
「あなたはわたしを愛しますか」
己の罪に打ちひしがれるペテロに対して注がれる、主イエスのご愛でした。「あなたの罪は、わたしが十字架で背負ったから・・・」
主イエスは、再びペテロを、人をとる漁師として、キリスト者を養い育てる牧者として、ガリラヤ湖畔で召し、出発させたのでした。そのときに問われたのは、能力があるかどうか、失敗しないかどうかなどではありませんでした。
ただ一つ、「あなたはわたしを愛しますか」(17節)だったのです。