アリマタヤのヨセフとニコデモたちによって埋葬されたのが金曜日。土曜は安息日。そして、数えて3日目(2泊3日)の、週の初めの日曜早朝、マグダラのマリヤが墓にやって来ました。安息日前に急いで埋葬したため、香料などは週明けに、ということになっていたようです(ルカ23章54節〜24章1節)。
ところが、よもやの墓泥棒です。入口の石は転がされたまま、遺体はなく、わずかに頭に巻かれていた布切れが残るばかり。
「十字架刑だけではあきたらず、遺体まで持ち出すなんて、ひどい・・・」と、マリヤの脳裏には、祭司長たちや十字架の下で愚弄していた兵士たちの姿が、浮かんでいたことでしょう。
悔しくて、悲しくて・・・、「お墓の前で泣かないで、そこに私はいません」と言われたって、涙がとめどなくあふれてきて。
そんなマリヤに声をかける2人がありました。まるで夢幻のような白い衣をまとって。「女の方、なぜ泣いているのですか・・・」
2人に答え、そして振り向くと、後ろには墓園の管理人らしき人が立っていました。「女の方、なぜ泣いているのですか・・・」
「私にあの人を返してください。たとえ亡骸であっても・・・」 マリヤは管理人に答えました。
そのときです。耳を疑うような、けれども、世界中で一番、マリヤの聞きたかった声がしました。
「マリヤ」
その後、主イエスは、弟子たちの閉じこもっていたところにも現れ、最後の晩餐でおっしゃっていたように(14章27節など)、「平安があなたがたにあるように」(19・21節)とあいさつをされました。聞き慣れた、そして一番聞きたいと願いながらも、もう二度と聞けないと思っていた主イエスのあのお声。主の死とユダヤ人に対する恐れ(19節)で極限の心細さにあった弟子たちにとって、どれほどの慰めと励ましになったことでしょう。
主イエスは、恐れ閉じこもっていた最悪の状況の弟子たちに、おっしゃいました。「あなたがたを遣わします」と。救いの良い知らせ(福音宣教)のために主イエスが召されたのは、そういう弟子たちでした。それは福音宣教が、人の力や知恵、状況によるのではなく、「聖霊」(22節)によってなされていくものだからでした。敗残兵のようだった者たちが、聖霊を受けたことで一転して、罪と死に勝利された主イエスのメッセンジャーとして遣わされていくのです。