第一に、ペテロがイエス様を三度否定したことです。最後には、ペテロが耳を切り落とした人の親類から「わたしが見なかったとでも言うのか」と証拠をつきつけられても、なお否定します。
第二に、神の律法に従うためであり、神への奉仕という理由で、イエス様を迫害をする者があらわれる時が来るということです。イエス様は、大祭司カヤパのもとから総督官邸に連れて行かれましたが、ユダヤ人たちは過越しの食事をとれなくなるという理由で異邦人である総督の官邸に入ろうとしません。
第三に、イエス様が捕らわれた目的が、「死刑」だということです。ピラトはユダヤ人たちにイエス様への告発の理由を問いただしますが、彼らの引渡しの理由を理解できません。ユダヤ人たちが持つ律法でさばきなさいとのピラトにユダヤ人たちは「死刑」ということばを出し、死刑はローマ総督のもとに置かれている私たちには許されていないと言うのです。
さて、このヨハネの福音書では、まことの王なるイエス様が、ピラトという人物を通して浮き彫りにされていきます。
「あなたは、ユダヤ人の王ですか」 このピラトの質問は、ユダヤ人たちの告発を聞いてのものでしたが、イエス様はあなた自身の考えなのかと問われました。イエス様は、わたしの国はこの世のものではないとお答えになりました。これは、イエス様が伝道を開始されたときのことばを思い出させます。「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1章15節) 神の国の王として来られたイエス様。ピラトはイエス様に「それではあなたは王ですか」と。この質問にイエス様は「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです」と答えられました。
真理のあかしをするために生まれ、この真理のためにこの世に来られたイエス様。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従いますと言われました。ピラトは言います。「真理とは何ですか」
私たちも真理を知ることのできない者でしたが、真理に属する者とされました。そして、その真理を明らかにされたイエス様は、私たちのまことの王です。
ピラトはイエス様に死刑に当たる罪はないと釈放を提案しますが、ユダヤ人たちはバラバの釈放を選んだのです。