様々な悲しいことを聞いた弟子たちは不安になるでしょう。そこでイエス様は「心を騒がしてはなりません」と慰められ、神様とイエス様を信じるように勧められました(1節)。私たちがもし今不安や心配のなかにいるのなら、この心強いおことばを実践したいと思います。父の家(天国)に住まいがある(2節)ことを覚え、感謝と希望を持ちましょう。
トマスは他の弟子たちを代表して知らないことを告白しました(5節)。そして、イエス様はご自分こそが道であることを宣言されました(6節)。つまり、イエス様は人間と創造主なる神様とを結ぶ道なのです。イエス様のところに行けば、神様のもとに行けるのです(7節)。イエス様は真理であり、いのちであります(6節)。つまり信頼に値するお方であり、永遠のいのちを授けることができるお方です。
ピリポは「父を見せてください」とイエス様に願いました(8節)。イエス様はご自分が正にその神様の顕現であることを宣言されました(9節・1章18節)。イエス様は父なる神との一体性を持っており、また遣わされた者として遣わした方の言ったとおりに行動するので、この意味でイエス様を見た者は父なる神様を見たのです。
イエス様を信じる者はイエス様のわざよりもさらに大きなわざを行います(12節)。「わざ」とは福音を告げ知らせることであり、「大きな」とは地理的範囲を指すのでしょう。つまり、パレスチナの地域を超えて、福音を宣べ伝えることです。イエス様のことを宣べ伝えることは私たちに任された使命なので、より熱心に全うしたいと思います。そのためにイエス様の名によって求めればイエス様はそれをしてくださる(13〜14節)という心強い約束を与えてくださいます。古代世界では名にその持ち主の本質を表すので、イエスの名によって祈るとはイエス様が喜ぶようなことを願うことを指します。
イエス様の戒めは難しい、できないに決まっていると主張するクリスチャンがいます。しかし「わたしを愛するならわたしの戒めを守るはず」とイエス様は言われました(15節)。イエス様を愛すれば不可能ことではないことがわかります。イエス様の戒めを守ろうとする時、私たちは孤児のようにされることはありません。三位一体の神様が責任をもってともにいてくださいます(16〜23節)。