第22火曜 ヨハネ12:20-43



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

 過越の祭りにはユダヤ教に改宗したギリシャ人も参加し、イエス様と会いたがっています(21節)。ギリシャ的な名前を持ち、ギリシャ人が多く住んでいるベツサイダ出身のピリポに、その旨を伝えました。でも、ピリポはイエス様がユダヤ人だけでなく、諸国民のために平和・救いをもたらすことがまだわかっていなかったようです。幸いなことにアンドレに話した(22節)後、ともにイエス様に話すことになりました。国民や部族違いによる差別などをやめて、彼らをもイエス様のもとに案内しましょう。

 イエス様の栄光の時が来ました(23節)。このような栄光はイエス様の死と密接に関係するものです(24節・32〜33節)。麦の種のように、豊かな実を結ぶためなのです。豊かな実とはイエス様を信じることによって救いの恵みを預かる私たちのことです。その栄光の概念は私たちにも適用されます(25節)。罪人である私たちは悔い改めたら、罪の赦しと永遠の命が与えられ、イエス様に倣う者になります(26節)。イエス様のように他人のために惜しみなく身を捧げる人になろうではありませんか。

 イエス様は人間となられた神であり、普通の人間と同様に心が騒ぐことがあります(27節)。そのようななかでイエス様は自己中心に陥らず、父なる神様の栄光を現れることを願ってやみません(27〜28節)。これが父なる神様に喜ばれることです(28〜29節)。

 イエス様は多くの奇蹟をなさいましたが、ユダヤ人たちはイエス様を信じませんでした(37節)。これを反面教師に、頑固な人にならないで、素直にイエス様を信じましょう。人間はイエス様を信じないでいることはできますが、それは決して神様の知識と力が足りないからではありません(38)。ヨハネは神様の視点でものを捉えるように勧めます。そうすれば問題・悩みは直面しやすくなります。

 ユダヤ人たちは信じることができなかった(39〜40節)と、ヨハネはさらに説明します。ずっと信じようとしなかったので、彼らは、してはならないことをするようになりました(参照:ローマ1章18〜32節)。イエス様を信じるチャンスが与えられたら、拒み続けることがないようにしましょう。ユダヤ人の指導者たちのなかで、イエス様を信じる人がいました(42節)が、会堂から追放されない(9章22節・16章2節参照)、すなわち村八分にされないように、信仰告白はしませんでした。神からの栄誉よりも人の栄誉を愛したからです(43節)。神からの栄誉を最優先にする人生を送りたいものです。


【信仰告白】

[2] 使徒信条