9章のパリサイ人たちに対するイエス様のことばを受けて、10章が続きます。ここで、「まことに、まことに、あなたがたに告げます。羊の囲いに門からはいらないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です」と言われています。自称「霊的指導者」であった、パリサイ人を、盗人で強盗だとイエス様はたとえました。彼らの間違いは「羊の囲いに門からはいらないで、ほかの所を乗り越えて来る」ことにありました。言い換えれば、教会の指導者たちが群れを牧するためには、イエス様という「門」をとおらなければならない、ということです。自分に、能力があり、知識や社会的地位があったとしても、イエス様という「門」から入ることがなければ本当の意味で上に立つことはできないのです。でないと、盗人や強盗のように、その羊の群れを悲しませ、傷を負わせることになってしまうからです。
大切なことは、すべての人が、イエス様の「門」から入ることです。
イエス様は、私たちの良い羊飼いです。その大きな理由のひとつは、11節にありますように、「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます」ということでしょう。私たちのために、十字架でいのちを捨てて下さったことによって、「羊がいのちを得、またそれを豊かに持つ」ことができるのです。
この「良い羊飼い」に従って行くなら、私たちは「迷える羊」にならなくてよいのです。さて、日々の生活において、羊が気をつけるべきことは、何でしょうか。今日の聖書箇所をまとめてみました。
更に、良い羊飼いである、イエス様はこのように言われます。16節にありますように、「わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊があります。わたしはそれをも導かなければなりません。彼らはわたしの声に聞き従い、一つの群れ、ひとりの牧者となるのです」
「良い羊飼い」は、全世界に散らされている羊たちを導くことを願っておられます。今日も、「羊」のために主は働きを止めません。私たちも主に贖われた者として、愛されている「羊」として、福音の種まきをさせていただきましょう。「良い羊飼い」は私たち「羊」とともにいてくださいます。