第21日曜 ヨハネ8:21-38



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

【1】 イエス様は、どのようなお方か

 今日の聖書箇所では、ユダヤ人とのやりとりが描かれています。イエス様は「わたしが来たのは上からです」と語られました。上から来て、私たち人間をその罪から救う贖いの業を成し遂げようとしておられました。そして、「わたしはこの世の者ではありません」と続けられます。しかし、ユダヤ人たちは、「あなたはだれですか」と問い返すのでした。

 聖書には「聞く耳のある者は、聞きなさい」とあります。私たちは、日々、聖書を読みますが、読み終わった後、何が書いてあったか、ということをすぐに忘れることがあります。恥ずかしいですが、私も同じようなときがあります。

 イエス様を信じて、信仰生活を歩んできますと、イエス様のことを頭では理解していても、心において、あるいは、実際の生活のなかで意識し、信じ、信頼することを忘れがちです。いや、忘れないにしても、事実、自分だけの考えや思いに支配されやすいのです。お互いに気をつけたいと思います。
 私たちの、イエス様は、どのようなお方でしょうか。もう一度、それぞれの心に覚えたいと思います。

【2】 私たちは何者か

 ユダヤ人たちは、イエス様に対して「私たちはアブラハムの子孫であって、決してだれの奴隷になったこともありません」と主張します。言い換えれば、自分たちは神に選ばれし民族という誇りとでも言いましょうか、そのような高慢があったことは否めません。彼らがもし、自由を与えてくださるお方、それも、自分ではなし得ない罪の奴隷からの解放、弟子とされる恵みに、そしてイエス・キリストご自身に目を向けていれば、このような主張にはならなかったのではないかと思います。

 私たちは何者でしょうか。イエス様の前に、何も誇ることなどできないのではないでしょうか。かつては、罪の奴隷となり、神様に背を向けて人生を歩んでいた者です。しかし、イエス・キリストは、私たちを罪から救うために、父なる神様に遣わされて「上から来て」くださいました。そして、私たちに自由を与え、弟子としてくださる恵みを与えてくださったのです。

 今日、私にとって、あなたにとって、イエス様とは、どのようなお方でしょうか。そして、私は、あなたは何者でしょうか。今一度、自分自身に問いかけてみてはいかがでしょうか。
 みことばを聞く者、心にとどめる者とならせていただきましょう。

 「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です」(31節)


【信仰告白】

[2] 使徒信条