サンヘドリン(ユダヤの議会)は、死刑判決を下して、イエス様を総督ピラトの元に連れて行きます。それは当時、総督ピラトの許可なしには、刑を執行できなかったからです。彼らが死刑を決定したのはイエス様が神の子であるという証言からでした。しかし、いつの間にか「カイザルに税金を納めることを禁じ」(2節)と記されているところに、サンヘドリンの何が何でもという汚い意気込みを感じます。彼らにとって、罪の事実はどうでも良く、死刑という結果だけを望むものでした。しかし、ピラトの元では罪が認められませんでした。
嫌なことは誰でも自分が引き受けたくはないものです。ピラトも冤罪はローマ帝国の権威を汚し、自分の築き上げてきた地位を脅かしかねないものでもあり、「敵対していた」(12節)ヘロデのもとへと送ります。このヘロデのもとでは、祭司長と律法学者たちが激しく訴え、ヘロデ自身も兵士とともに、侮辱と嘲弄をイエス様に浴びせます。ヘロデにとっては、イエス様は様々な奇蹟やわざを起こしたという噂だけを耳にしていた興味の対象に過ぎませんでした。
この日以来、ヘロデとピラトが仲良くなったというのは、細かい部分では意見が合わなくても、それ以上の攻撃対象を見つけ、団結する、人間の罪深さの現れで、私たちの間にも見られるものです。
ピラトのもとでイエス様に死刑判決が下されます。この判決がもたらされたのは、ピラトの意思ではなく、祭司長や長老たちに煽られた群衆のデモクラシーの結果でした。しかし、ピラトもまた自己保身のために、自ら判決を下すのではなく、群衆にこの責任を押しつけたのです。またこの時、殺人罪で捕われていたバラバが祭りの慣習に従って(参照:マルコ15章6節)、恩赦によって解放されます。イエス様の十字架刑の決定によって、罪から解放されたのはバラバでした。
これは私たちが神の御前で罪人であっても赦されるひな型で、私たちにも見立てることができるものです。